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郊外系デイタイム

渡り廊下とホルン

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渡り廊下とホルン

夏のコンクールが終わって先輩が引退して、俺たち二年生は良くも悪くも開放的な気持ちになっていた。
 毛布が敷き詰められた夏休み中の音楽室。その中心で、今度は自分たちの代なんだぞ! と周囲を鼓舞する部長と、それを横目にだらける同期たち。去年も確かこんな雰囲気だったのを覚えている。夏見高校吹奏楽部にある悪い伝統の一つだ。普段の俺ならきっと群衆にまぎれて同期と怠惰を共にしていたところだろう。
 しかし、今の俺はとてもじゃないがそんなお気楽な気持ちではいられなかった。

 先輩が引退して二ヶ月。今日も俺は学校の渡り廊下で一人で楽器を演奏していた。室内と違って外は音が響かないから、素直な自分の音が聴ける。俺は機会さえあれば必ず渡り廊下に自分の担当楽器であるホルンを持ち込んでいた。
「せいがでますねえ」
 渡り廊下の入り口で俺を冷やかす声が聞こえた。誰なのかは見なくても分かる。ユーフォニウムを抱きかかえながらこちらに近づいてくるのは、ユーフォニウム担当の同期、水無綾瀬だ。
 綾瀬は合奏の時によく隣の席になる。俺はセクションの一番下を任されることが多く――男子は上手い下手関係なしになぜか低音のパートを任されるのだ――ホルン隊の中では指揮者を向いて一番左に座ることが多い。対する綾瀬は滅多にセクション分けがされないユーフォニウムであるのに、大概はユーフォ隊の一番右に座る。この二つの位置関係が、ちょうど隣同士になるのだった。そんな事情もあって、綾瀬とは別パートの同期女子の中では割合よく話す方だった。
「おつかれっ、北沢涼部員」
 なんだその呼び方。
「冷やかしか?」
 俺が言うと、
「失礼ね。その通りだけど」
 とまあ、予想通りの返答をする綾瀬。

 夏見高校の吹奏楽部は特段うまいわけではないが、毎年コンクールで県大会に行くくらいの実力は持ち合わせている。きっと顧問や講師に恵まれているのだろう。人数が多い部活だから活動資金も多く、充実した音楽をすることができる。
 でも、今年のコンクールは地区大会で終わった。ダメ金だった。金賞ではあるが県大会への切符は渡されない、見方によっては銀賞や銅賞なんかよりもよっぽど不名誉な結果だった。結果を聞いてコンクール会場の外に出て、空いているところに整列。周りを見ると、わざとらしく泣いているやつ、いつものようにおしゃべりしてるやつ、夏休み明け直前に行われる中学生を対象にした学校説明会での演奏に向けて早くも気持ちを切り替えているやつもいた。そんな中、俺はずっと黙って下を向いていた。誰も何も言わないが、県大会に行けなかった原因は明らかだった。俺が目立つミスをしたからだ。
 今年の自由曲は現代音楽的なつくりが男心に響いて、とても好きだった。 また、一番盛り上がる部分、いわば大サビのような場面、その直前は曲全体を通してもかなり重視したい聞かせどころだった。流れるようにそれでいてじわじわと迫る木管の連譜、その連譜の嵐の中に潜む竜のように固く響くトランペットとトロンボーンのファンファーレ。激しくぶつかるそれらが全て一点に収束する時、演奏者五十人が一斉に音を止め、そこからしなやかで雄大なサビのメロディが始まる。そんなシナリオだった。
 ただこの曲におけるホルン最大の難所もまた、サビ直前の収束点だった。この曲のホルンは、サビ前にすべての音が収束するそのタイミングで激しいアップグリスを入れることになっている。低い音から一気に高い音まで駆け上がり厚い壁を作る。そして壁を維持するかのように無音の硬直を張る。そんな役割があった。
 そこで俺は今まで練習でもしたことがないくらい盛大に音を外してしまったのだった。周りの楽器の音がすべて消えた中で俺のミストーンだけが大きく響く。たとえ審査員がこの曲を知らなかったとしても、これはミスであると分かるだろう。
 絶望的な表情でステージを立ち去り、会場前で立ち尽くす俺を見る部員はいなかった。ただ一人、水無綾瀬を除いて。
「涼くん、おつかれ。どうしたそんな死んだような顔して。らしくないね」
 情けなくも、唯一声をかけてきた綾瀬の言葉に何も答えられないでいた。
「音外したの気にしてるんでしょ」
 そして分かってはいたが図星をつかれた。責められると思った。綾瀬だって、世話になった先輩ともう一回ステージに立ちたかったはずだ。俺はどうしても綾瀬に目をあわせられなかった。しかし、果たして綾瀬の次の言葉は俺が思うようなものではなかった。
「それなら大丈夫だよ。私だってハイトーン外してるから」
 ……。
 そういう問題じゃないんだが、この言葉に少し救われたのも事実だった。しくじったのは自分だけじゃないと知って気を軽くするなんて、恥ずかしいにも程があるが、綾瀬のおかげでただ何も考えられなかった状態から脱することができた。

「ソロコン、もうすぐだね」
 俺の回想を綾瀬が遮る。
「ああ、伴奏よろしくな」
 俺はメトロノームのテンポを変えながら言う。
「任せなさい。何年ピアノやってると思ってるの? なんならユーフォ吹くより上手にできるよ」
「そいつは頼もしい」
 綾瀬はユーフォを抱えながら胸を張って見せる。
 贖罪と言ったら少し大仰かもしれないし、的外れかもしれない。たぶん、結局は自己満足なんだと思う。でも、俺はあの時のミスが自分の中でどうしても許せなくて、その結果、修行のために必須でも何でもないソロコンテストにエントリーした。そしてその伴奏を綾瀬に頼んでいた。俺はこの二ヶ月、部活で課題となっている曲と並行してずっと一人渡り廊下で誰もやってない曲の練習をしていた。
 そのあと綾瀬は何も言わなかったので、俺はそのまま練習を再開した。この高校の周りにはひたすら田んぼが広がるのみ。俺の音はあらゆる建物にも遮られることなく、まっすぐ飛んだ。でも、すぐに墜落する感覚も同時に覚えた。ちょうど紙飛行機を飛ばした時のように、落ちるときはあっけない。この飛距離をもう少し伸ばしたい。もっと遠くまで届く音を出したい。
自分の出す音からブクブク音が混ざり始めた。心なしか、つば抜きをするスパンがいつもよりも短く感じる。金管楽器は暖かい息を入れ続けていると管に水分が溜まる。自分の音がブクブク言い始めたらその合図だ。俺は入り組んだホルンの管を一部抜き取って、たまった水を捨てた。渡り廊下には排水溝があるからと思って横着して、つば抜き用の雑巾は持ち歩いていなかった。
「ねえ、涼くん」
 隣にいる綾瀬が声をかけた。
「なんだ」
 ところでお前は練習しなくていいのか。俺は訊きながら組み立てたホルンの練習を再開する。
「金賞取ったらキスしてあげようか」
 突然渡り廊下にひょうきんな高音が響いた。右手がホルンのベルから抜けなくなるかと思った。マッピから口を離して綾瀬を見る。
「やーい、動揺が音に出てたぞー」
 綾瀬はユーフォに顔の下半分を隠していたが、眼だけでもにやけていることが分かる。こいつ。
「変な冗談を言うんじゃない。……それにどうせ」
「どうせ?」
 綾瀬が反復する。それと同時に綾瀬の体が楽器ごと少し横に傾く。
「どうせ金なんか取れないさ。俺、そんなに上手くないし」
 もともと自分の技術向上のためにソロコンに出たのであって、賞を狙っているわけじゃない。ましてや、俺のせいでみんなは望んだ賞が取れなかったというのに俺だけ賞を狙うことはできなかった。でもそんな言い訳も言わなければきっとただの弱気に見えるのだろう。
「ダメ金でもいいよ?」
 綾瀬はユーフォを下に置いて言った。ダメ金は今の俺にとっては禁句みたいなものだったが、そんなことはお構いなしだった。
「ソロコンにダメ金なんてあるのか?」
「しらなーい」
「なんだよそれ」
 それからお互いしばらく何も言わなかった。
 少し、風が吹いた。綾瀬の黒くて真っ直ぐとした長髪が揺れ、その髪の一部が顔にかかる。ふいに、口元に数本の毛先が入る。
 大抵の金管奏者よろしく、綾瀬の唇は少し厚かった。
「あぎゃ、髪の毛食べちゃった」
 そう言って綾瀬は少し笑っていたようだった。そしてこの一言で俺は正気を取り戻した。いつの間にか……見入ってしまった。ばれないように、慌てて綾瀬から目を逸らす。綾瀬が目の前の髪の毛をかき分け終わってこちらを見るまでには何とか間に合ったと思う。
「うまいか? 髪の毛」
「そんなわけないでしょ、もう」
 柄にもない冗談だったが、綾瀬はすぐに反応した。少し、照れているように見えたのは気のせいだろうか。
「まっ程々に頑張れ。唇の感覚なくなるまで練習したら、せっかく金とっても台無しだぞ」
 そう言って綾瀬は手を振り、渡り廊下から足早に姿を消した。
 ……。
 いかん、しばらくそのままぼけっとしてしまっていた。
 仕方ない、今日の練習はこの辺にしておくか。
 まあ、直前まで練習して唇を壊してしまってはいけないし、肝心の本番で高音が出なくなってしまっては困るからな。うん。


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