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郊外系デイタイム

ダブルリードとダブルフェイス

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ダブルリードとダブルフェイス

「先生、いつもありがとうございます」
 金曜日の夜。部活も終わり、他の部員はみんな帰っていた。私はというと、音楽準備室で顧問の先生から対面で指導を受けていた。
「いいんだよ、気にしなくても。室井さんみたいな人がいると、顧問としてとても嬉しいんだ」
 宍戸先生は準備室に備え付けられているアップライトピアノの鍵盤蓋を閉めながら言った。
「先生……」
 先生が「きを……」と言いかけていたところに被ってしまった。
「なんだい?」
「吹部を辞めて、先生の指導だけを受けにきちゃだめですか?」
 目を合わせることができなかったから、私はもうすぐ二年の付き合いになるオーボエに視線を向けていた。きっと先生は心配そうな顔で私を見てくれてるのだろうと思う。
「部活は楽しくないのかい?」
「いえっ、そうじゃないんです。みんないい人だし、コンクールもコンサートも好きです。この部活に出会えて本当によかったと思ってます。でも……」
 言葉が詰まってしまった。この先をどう言葉で伝えればいいのか、私にはその手段を見つけることができなかった。先生は私の話の続きを待っているだろうか。なにか言わなきゃという気持ちが先行する。
「すみません。ちょっとネガティブになってたみたいです」
 苦笑しながら、なんとかそれだけ言えた。一方で先生は何も言わなかった。私はすぐに席を立って、楽器の掃除もほどほどにケースに突っ込む。とにかく、早くこの場からいなくなりたくて仕方がなかった。
「今日も練習、ありがとうございます。失礼します」
「うん、気を付けてね」
 先生の言葉を聞く時にはもう私は準備室の扉を開けていた。
 本音が言えなかったことは、たぶん先生にも気付かれている。なんだか無性に恥ずかしい。

 音楽準備室は教室棟の五階にある。私は準備室を出て目の前にある階段を降りる。最終下校時刻を過ぎているからどこもかしこも電気が消えていて暗い。最近は毎日この時間に帰っているから少しは慣れたけれど、それでも不気味だなと思う。
「こんな遅い時間まで残ってる悪い子は誰かな?」
 突然聞こえてきた声と同時に背後から肩を掴まれた。
「ひゃっ!」
 階段の踊り場で短く悲鳴をあげてしまった。ただでさえ誰もいない学校なのに、階段だからとてもよく響く。
「わあ、すごくいい反応。危うく詩音いじりに目覚めそうになったよ」
「美和……」
 私は肩に置かれた手を握り返してうらめしげに後ろを振り返る。やっぱり、そこにいたのはファゴット担当の同期、加藤美和だった。
「よっ相棒。先生に優しくしてもらったか?」
「変な言い方しないで」
 このやりとりは最近ではすっかり恒例だった。初めてその質問をされた時、鈍い私は笑顔で首を縦に振ってしまい、美和だけでなく周りにいる女子をも凍りつかせた覚えがある。
「まあ、あんな音楽が恋人の無害男じゃそういう展開にもならないか」
 美和はつまらなさそうに苦笑した。
 オーボエ担当の私、室井詩音とファゴット担当の加藤美和はタブルリードというパートに所属している。高音楽器であるオーボエと低音楽器であるファゴットは、見た目も役割も似ても似つかない楽器だけど、ひとつだけ共通点がある。木管楽器はリードという木の板を振動させて、それを楽器内で増幅させて音色にするのだけれど、私たちの楽器は珍しく、そのリードが二枚ある。その音は独特な丸さと固さがあり、柔らかい響きの多い吹奏楽編成の中では隠し味のように要所で活躍することになる。そんなダブルリード楽器を演奏しているのは、二学年で七十人以上いるこの吹奏楽部でも美和と私だけだ。
「先生はなんだって?」
 薄暗い階段の踊り場には、少し高いところに窓がある。そこから少しだけ光が射すから、私たちは辛うじてお互いを視認できる。
「なんのこと?」
 美和からの急な話題提起に思わず聞き返してしまった。わかりきってることなのに。
「とぼけんじゃないの。部活辞めたいって言ったんじゃないの?」
 そう、美和にもその相談をしていた。
「あっ……言ったよ」
 さらには先生の指導だけを受け続けたいだなんてわがままもセットにして伝えた。
「でも、理由が言えなかった」
 私はピアニストの父とソプラノ歌手の母を両親に持つ、いわゆる音楽一家で育った。両親はそれぞれその道である程度の評価を得ていて、だから私は人並より我が家が裕福であることを知っている。そして、そのことを自覚すればするほど、自分が今のままではただの七光りだという意識も大きくなっていった。もともと音楽の道に進むつもりではいたけど、この重圧が年齢とともに大きくなっていくのを感じる。早く結果を出さないと潰れてしまいそうな気がして、私は今、音大への現役合格を目指して練習を続けている。浪人なんてしている心の余裕はなかった。
 吹奏楽部には優秀な両親の勧めで入部した。私たちの原点もまた、高校の吹奏楽部だったと言うのだ。否応なしに毎日練習することになるのだから、利にかなった環境だと思って私は入部した。
 一年生のころはひたすら音楽が楽しかった。音楽のために入った部活だけど、そこには美和をはじめとしたたくさんの仲間がいた。その仲間との演奏が楽しくて、その演奏を楽しむために練習もたくさんした。仲間たちは音楽しかなかった私にそれ以外のたくさんのことも教えてくれた。おしゃれのこと、美味しいお店のこと、恋愛のこと。毎日夜遅くまで練習して土日も部活だから、放課後にどこかに遊びに行くみたいなことは滅多になかったけれど、それでも私にとっては十分すぎるくらいの新世界だった。
 異変を覚えたのは二年生になった辺りからだった。昔できていたフレーズができない。
私、下手になっていってる?
 周りからは相変わらず「音大目指してるだけあって上手い」と言われる。そんな彼女たちの評価が吹奏楽部の中では世界の評価のように聞こえて、それが心地よかった。私は知らずのうちにそれに甘えて……。
 違う、そうじゃない。私と彼女たちは目指すステージが違うんだ。
 そう思ってしまってからしばらくは吹奏楽部という環境を恨んだ。私を誘惑して堕落させたくらいのことは考えた。今になればなに言ってるんだろうって思うけど、そう憤れていた頃の方がまだ気が楽だったとも思う。どちらかというと、しばらくしてその逆恨みに赤面するようになってからの日々の方が辛かった。
「自分勝手なのはわかってるんだ。みんなに対してすごく失礼な理由だと思う」
 いつの間にか私たちは階段に座り込んで話していた。
「そりゃ悪いけど同意するよ。でも、納得もしちゃうから余計に切ないかな」
「ごめんなさい。傷つけること、わかってたのに」
 逆恨みを恥じても、目の前の快楽に溺れて怠慢したことは事実だった。だから私は自戒の意味も込めて、改めて退部を検討している。このことは、吹部の中では美和しか知らない。
 ふいに、ひゅうひゅうがたがたと窓が鳴った。暗い学校の階段でこの音はかなり怖い。私が思わず身を小さくすると、美和がくっつきそうなくらいまで近付いてきた。
「ねえ詩音、私たちって二年前はすごく仲悪かったよね」
 活発な美和にしては落ち着いた口調だった。
「そうだね。だって何もかもが正反対すぎるんだもん」
 私はすぐの距離にいる美和に苦笑して返答した。
「そうだねえ、私なんかはなんでこんなお高く止まったお嬢様なんかと組まなきゃならないんだって思ったよ」
「あっひどい」
「でも、それもすぐに誤解だって気付いた。詩音が誰よりも必死に、誰よりも泥臭く音楽と向き合ってるんだって、いつも近くにいるからすぐわかった。恥ずかしいけど、詩音のことは尊敬するし、ずっと相棒でありライバルだって意識でいた。……だからさ」
 美和がふいに立ち上がり、階段をかけ降りた。十二段降りきってこちらを振り返る。
「私は! 詩音に辞めてほしくない!」
 二人しかいないくらい階段に美和の叫びが響いた。その残響は数秒経っても消えることがなかった。階段から消えても、私の中には終わることなく響き続けていた。
「ねえ、必ずどっちかを選ばなきゃいけないのかな」
 さっきの叫びに比べればその美和の声はとても小さかったけれど、階段の下から上まで確かに聞こえた。
「辞めないと音大に行くのは難しいのかもしれない。でも、辞めたら絶対に音大に行けるの?」
「それは……」
 そんな保証はない。言い切れるはずがなかった。でも、そういう問題じゃないんだ。
「きっと、辞めずに音大にも行くことだってできるよ」
「やめてよ」
 美和の言葉を遮ってしまった。直後にこんなに後悔するとは思わなかったけど、私は続けた。
「勝手なこと言わないで。私の音楽は高校で終わりじゃないの。そんなの無責任だと思う」
 美和の言葉がとても嬉しかったのに、なんでこんな事しか言えないんだろう。
「そうだよ、詩音が音大に行けようが行けなかろうが私に責任はないんだよ」
「えっ」
 美和の突き放すような言葉に動揺した。
「だからさ、結果がどうあれ私たちのせいだなんて思わないでよ。私と音大は無関係なんだから、そんな理由で辞めんなよ!」
「美和……」
 ……不器用だな、この子も私も。
 そうだね。私は性懲りもなく、将来への不安を人のせいにしていたんだ。よりによって、いま一番大切な仲間たちのせいに。
「……恥ずかしいな」
 小さくしか出なかった声が震える。
「落ち着いた?」
 美和がいつもの明るい口調に戻ってそう言うから、
「美和がね」
 って、笑って返した。
 美和が同じパートでよかった。
「引退まで部活続けるからね」
 私は立ち上がって階段を下りながら言った。
「うん、ありがとう、嬉しい」
 美和は私がゆっくり階段を下りるのを待っていた。
「ごめんね、心を入れ替えますよ」
「よろしい、それじゃあ、心機一転ついでに少しイメチェンしてみる?」
 それじゃあって言うけど、それ今回のこと関係なしにいつも言ってくるよね。
「だめだよ。私のお父さん、少しスカートを折ったくらいで火山が噴火したように怒るんだから」
「うん、私も詩音の膝から上は見たくないかな」
「なにそれ」
 私はそう言ってなんとなく笑った。
 教室棟二階の廊下から施錠担当の夏目先生の大声が聞こえる。もうみんな帰ったか、鍵閉めちゃうからな、私も早く帰りたいんだ。本音丸出しの夏目先生に私たちは大きな声で「今行きまーす」と伝えた。
「それじゃ、帰ろっか、相棒」
「うん。また明日、部活でね」


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